『焼き物がうねり出した』 (1997、金子賢治 茨城県陶芸美術館 館長)

「焼き物がうねり出した」

齋藤は1992年頃の自らの制作についてこう語ったことがある。
彼は80年代の終わり頃、不定形な陶板を鉄筋で支えた豪快な作品で注目された作家である。
それが92年頃、次のステップを目指して新たな展開を模索していたのである。
齋藤が、いくつかのグループ展を経て、まとまって作品を発表したのは88年の個展(ギャラリー・アッシュ)であった。この個展には、壁面に設置されたもの、吊り下げられたものの2タイプが出品され、これ以降の彼の制作の原点となった。
どちらか一方に片寄せられた構図を見せる壁面作品、一点を中心に回転しているような吊り下げ作品、重心をたっぷりと下方にためて上へ伸び上がる作品。それぞれが印象を違えながら、陶板一枚一枚が、不定形で雑然としているように見えて、しっかりとした土との交感によって制作され、隣り合うものが相互に通じ合う必然的な展開の仕方によって構成されている。
そのことによって、「土から陶へ」のプロセスに込められた齋藤の意志力が一つの方向に凝縮され統一されて発揮されるため、作品に強い力を与えているのである。
こうした作品の性格がより強く、よりむき出しにされたのが、89年の「水蒸気破裂98911」であった。
重心は下方にどっしりとためられ、一方に片寄せられた構成を不安定にせず、しっかりと大地を踏み締め自立している。隣り合う陶板のエネルギーが、鉄骨に支えられて、次から次へと乗り移っていき、今にも動き出そうとする巨大な有機体のような力強さを作り出している。
まさに巨大さと「土から陶へ」の素材とプロセスを専ら用いて自己を表現することの合目的性との統合による、これまでの現代造形にはない力強いエネルギーの噴出を実現したのであった。
「土のある意味で暴れる部分と抑制をすごくよく分かってないと作れないもの」という評価をされたのも、そうしたことからなのである。
齋藤はそこで実現された巨大なエネルギーの噴出を、もっと高い段階へ持っていこうとしたのである。つまり陶板から陶板への移行をもっと力強く、さらに単なる支持体であった鉄骨にもっと積極的な意味を持たせ、「陶板→陶板」、「鉄骨→鉄骨」それぞれの必然的な展開を関連させ、陶と鉄がいわば交響する構築物を作ろうと意図したのである。
それが「やきものがうねり出した」という言葉に象徴されたのである。
その大きな結実が93年の「やわらかい鉄・かたい陶93100」であった。この作品では各陶板が従来にもまして連続性を増大し、そればかりでなく、それと関連して、鉄筋までがなにか一ヶ所から迸り出た有機体のように連続して陶板群に密着し始めたのである。
陶と鉄の協働による巨大な構築物とその空間が作り出されたのである。齋藤は「空間」という感覚はそれほど強く意識してきた作家ではないが、「焼き物がうねる」と同時にうねりだした鉄骨群が伸びていくのに連動して、いわばなるべくして陶・鉄群が囲み、切り取る空間が出来上がったのである。
ここから彼の制作は少しずつ変質していくことになる。それは陶と鉄を用いる意味をそれぞれより明確にしていこうとすることであり、さらにその組み合わせの意味をより深く追求していこうということであった。

「どうしても陶板が平らでしょう。土が出来上がっていく形がすごく安易な気がしたんですよ。」

「鉄は表面的にはかたいとされているが、陶にくらべると、融点ということだけでも鉄はやわらかい。/実際に、形にする時とてもそのことを感じる。/かたいと思われている鉄が曲がり、緋色に溶接される時、ものの持つ意味をかいまみる。/また陶・鉄、二つの魅力ある素材を組み合わすことは、それぞれ自分の中で昇華したかたちとして、美しいものでなければいけないと思う。」

こうした新たな思考の進展の中で制作されたのが、95年の「Archetype 59911」であった。
これはこれまでの制作と、工程、技法がかなり違っている。まず初めに鉄筋の構造体のほとんどすべてを作ってしまう。そして、既に立体として成立している鉄筋の構造体に、布や新聞紙を巻き付け、その上に土を巻き、被せつつ、鉄筋を覆う陶の表皮のようなものを少しずつ作っていくのである。
これまで地面でたたきながら陶板を作ってきたのとは技法的にまったく違う、そしてそれ以上に土を採用することの意味も本質的にまったく違った世界へと踏み込んでいるのである。
しかしこれは、たとえば上から鉄筋に覆い被さる部分はともかく、下方から取り付く部分は、成形中に帯で巻いて固定しなければならないなど、土で作っていくにはかなり無理のある工程を強いられる。
しかしこれは齋藤にとって、陶と鉄、二つの素材とその関連を突き詰めていくには避けて通れない、「とりあえずこれをやり切りたい」 試みであった。だから陶でほとんど覆われたこの作品の経験に基づいて、次に彼は、96年、「Archetype 69911」という、いわばそのバリエーションとでもいうべき作品を制作している。これは鉄筋を少しずつ構築していきながら、それに沿って土の成形をも徐々に連携させていくというもので、鉄筋が先で土を巻きながら成形していくのは95年のものと同じだが、鉄筋と土との関係は93年のものにかなり近いのである。今(97年7月)、彼はこうした体験に基づいて、なおいっそう陶・鉄、そして両者の共存関係の新たな段階に向けて、制作中である。
それはハンモックに土を乗せ、上と下から手で捏ね、叩き、成形して形を作り、それを焼いて、鉄筋で連結していくというものである。
制作の手順、陶・鉄の関係性は93年のものに極めて接近しているが、しかし、それぞれがなおいっそう進化せしめられている。土は地面からハンモックという不安定なものの上にあえて持ち上げられることによって、いっそうその特質を剥き出しにしてくるし、それに応じて主体としての作者もより高い自己の有様を要求される。さらに「すごく安易な」陶は一段と作者の意志が封入され必然性を伴った形に変換され、支持体としての鉄筋は陶との位置関係をかなり変貌せしめられ、陶塊との食いつきをより深いものとして蘇らせられたのである。
こうした齋藤の歩みは、素材相対主義が沈静化した現在、何を造形的根拠として素材・技術・プロセスと関わるかという、工芸的造形 の新しい有様を如実に示している。

『陶21』1997.10.1発行 同朋舎出版より