ハーバート・リード 著 『芸術による教育』
Herbert Read Education Through Art

宮脇理 岩崎清 直江俊雄 訳 

粟津潔 装幀
フィルムアート社 2001年 ISBN 4-8459-0124-2

第7章 補遺E 大学における芸術の位置

 (1931年10月15日,ハーバート・リードによるエジンバラ大学教授就任記念講演より)

 我が国の大学教育における芸術の位置は,それほど長い歴史をもつものではありません。その正確な起源は,1869年のオックスフォード,ケンブリッジ,ロンドンにおけるスレイド教授職の創設に求められるでしょう。ラスキンは,オックスフォードにおける最初のスレイド教授でしたが,彼はその就任講演の中でいくつかの理想を述べました。もしそれが続いていれば,この学科が英国で常に被ってきた軽視から救うためにかなりのことができたかも知れません。スレイド教授職の創設によって美術研究に与えられた主導権と奨励とは,美術に関する学問の重要な学科へと発展することもなく,英国の教育の一般的な水準に何らかの文化的影響を与えた痕跡をたどることも容易ではありません。スレイド教授職の影響力は増大してきたと言うよりも減少してきたのであり,英国の大学の平均的な卒業生は,救いがたいことに,人類の文化の主要な部門について,無知なままなのであります。崇高な目的がこのような惨状になっている理由は明白だと,私は思います。大学教育における芸術の位置は,正規のカリキュラムにおいて芸術に与えられている認識に依存するでしょう。そして,美術史が文学史,政治史,科学史などと同じように,総体としての文化を完全なものにするために有効であると認識されない限り,必修科目で一杯になっている学生に,愛と犠牲の精神によって,同じように複雑で時間的に厳しい科目を取るように期待することは,無理なことです。しかしスレイド教授職の創設から60年経過した現在,変化が現れてきています。オックスフォードでは,美術史の学位が最近設けられました。スレイド教授職が,本当の認可を得たのです。ただし,(オックスフォード大学における)「優等コース」と同等の認可ではありませんが。ケンブリッジで

は,この科目は非常に活発な建築学科によって発展させられています。そして,ロンドン大学では,さらに勇敢な一歩を進めました。コートールド氏の厚意により,研究所および研究の遂行に必要なあらゆる設備を備えた,美術史のための独立した学部が創設されているのです。これは,ドイツやアメリカの大学における標準的な設備と比肩しうるものであり,英国の美術史研究における新しい時代の開幕を,真に告げるものと言えます。
  芸術が,そのような徹底的な科学研究に適するものであるかどうかということは,しばしば問われることですが,私自身の意見を申し上げる前に,大学における芸術研究がどこよりも高度に体系化されている,ドイツにおける位置付けを見ていただきたいと思います。ドイツでは,一つの例外のみを除いて,国中の全ての大学(30大学あります)が,美術史の独立した学部をもっています。最初の学部の創設は,スレイド教授職よりそれほど前ではありませんから,ドイツにおいてこのようなめざましい発展がなされている間に,英国は,全く進歩しなかったと言うこともできるでしょう。ドイツの大学では,それぞれ平均して20人ほどの在学生が美術史の学位を目指しており,60人から70人が,一般の学位の一部として,その科目を取っています。ベルリン,ライプツィヒ,ミュンヘンなどのような大きな大学では,美術学科の教職員だけで8人から10人の教授や講師がいます。
 このようなドイツの大学における芸術研究の重点化について,驚かれる方もあるかも知れませんが,私は,この発展を,全ての点で称賛できると見る必要はないと思います。問題には二つの側面があります。このような教育が学生の実際の人生に及ぼす効果と,この集中的な研究が,教育における芸術の適切な機能に及ぼす効果です。これらは,二つの非常に異なった問題なので,もし皆さんが許していただけるようでしたら,これらを少し拡げてお話ししてみたいと思います。

(以下省略)

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