
筑波大学体育の年表
体操伝習所 1878 - 1886
- 1871
- 田中不二麿、米国アマースト大学の体操を視察
- 1872
- 東京師範学校(後の高等師範学校)設立(5.13)
- 1875
- 田中不二麿、文部省学監モルレーとアマースト大学の体操視察
- 1878
- 伊沢修二、文部省より体操取調掛に任じられる(9.6)
体操伝習所開設 伝習員募集 修業期間は2年(10.24)
アマースト大学より来日したリーランド、伝習所教員になる(10.24)
坪井玄道、体操伝習所教員となりリーランドの通訳にあたる(11.1)
体操伝習所規則制定(11.9)
リーランド、運動の効果を活力検査にて測定(初の学校身体検査)
- 1879
- 神田一ツ橋に体操伝習所の事務室、教場の新築なる(3.20)
第1回伝習員(官費)25名入学(4.7)
- 1880
- 体操室にピアノを備え体操演習で伴奏
第1回伝習員21名卒業(7月)
科目に兵式体操加わる(9月)
第2回伝習員入学試験(9月)
- 1881
- 第2回内国勧業博覧会に教科書、器具を出品、会期中伝習所内の参観を許可する(3月)
リーランド帰国(7/2)
メルボルン府万国博覧会に人体解剖雛形などを出品(翌年、2等有功賞状を受領)
朝鮮より参判、朴定陽などが伝習所を参観(6.12)
- 1882
- 第1回府県伝習員入学(1月)
体操伝習所規則改正
リーランドの講義を「新制体操法」、「新撰体操書」として出版
第1回官費伝習員15名、府県伝習員13名卒業(7月)
第2回府県伝習員入学(9月)
東京師範学校に「茗渓」「昌平」の短艇新設
- 1883
- オランダ万国博覧会に規則書、体操書などを出品(1月)
第2回府県伝習員卒業(22名) (7月)
スポーツ振興を目的とした東京遊戯会、体操伝習所で発会式(11月)
第3回府県伝習員入学(9月)
東京師範学校で坪井玄道、テニスを指導
- 1884
- ロンドン市衛生博覧会に体操器具や規則などを出品(金牌3、銀牌4顆授与)(3月)
第3回府県伝習員卒業(17名)(7月)
現職の教員対象に別課伝習員の課程新設
第4回府県伝習員入学(9月)
文部省へ「撃剣・柔術の教育上利害適否に関する申報」を上申(10.13)
11.17 文部省に歩兵操練の課程に関する調査結果を報告
- 1885
- 第5回府県伝習員入学(1月)
第4回府県伝習員卒業(19名)(2月)
第5回府県伝習員卒業(27名)(7月)
第6回府県伝習員入学(9月)
東京師範学校附属体操伝習所になる(12月)
- 1886
- 第6回府県伝習員卒業(35名)(3月)
東京師範学校、高等師範学校に改称
高等師範学校附属体操伝習所を廃し、高等師範学校に体操専修科を設置(4.29)
- 1887
- 寄宿舎を軍隊的分団組織にする(9月)
- 1890
- 高等師範学校から女子部独立、女子高等師範学校となる(3.25)
- 1893
- 嘉納治五郎、校長に就任(1897年まで)
- 1894
- 大運動会開催 柔道部創設
パリにてクーベルタンオリンピック復興を決議
- 1895
- 嘉納校長、高師寄宿舎の軍隊的分断組織を廃止
小泉八雲「Jiujutsu」著し、嘉納の柔道を欧米に紹介
- 1896
- 運動部をまとめる運動会設立(会長は嘉納)
嘉納治五郎、清国留学生の教育を引き受ける
第1回オリンピック(アテネ)
- 1897
- 嘉納、再び校長に就任(1898年まで)
- 1898
- 第1回長距離走大会
庭球部、高等商業と対抗戦(テニス史上初の対抗戦)
- 1899
- 体操科設置(修業年限2年)(4月)
- 1901
- 嘉納治五郎、三たび校長に就任(1920年まで)
第2回長距離走大会(以降毎年)
課外活動をまとめる校友会設置(嘉納校長、会長に就任)
- 1902
- 高等師範学校、東京高等師範学校に改称(3月)
千葉房総・北条海岸にて、第1回游泳実習(7月)
修身体操専修科設置、第1回水上運動会(ボート)開催(9月)
- 1903
- 蹴球部、横浜外人アマチュアクラブと対戦「アッソシエーションフットボール」出版
体操専修科設置(修業年限3年)
大運動会で中等学校優勝旗競走を開始(11.7)
- 1904
- 游泳部において、各流派の長所を集めた「高師泳法」を確立
- 1905
- 予科生は校長命により游泳実習に全員参加となる
- 1906
- 文科兼修体操専修科を設置(修業年限3年、後に4年)
生徒有志で歩行術研究会設立(4月)
第一高等学校と第一回関東連合游泳大会を北条にて開催
- 1907
- 蹴球部、青山師範と対戦(日本人同士の試合の初め)
- 1908
- 徒歩競走を春、夏の年2回に(大宮、玉川への競走)
- 1909
- 嘉納治五郎校長、IOC委員就任(1938年まで)
- 1911
- 嘉納治五郎校長、大日本体育協会を設立し初代会長に就任
- 1912
- 第5回オリンピック(ストックホルム)に嘉納を団長に金栗(高師)、三島(帝大)2人が参加(日本オリンピック初参加)
- 1913
- 文科兼修体操専修科で剣道、柔道の専門教師養成開始
大日本体育協会(嘉納会長)主催第1回陸上大会
- 1914
- 大日本体育協会主催第1回水上大会
第2回陸上大会主催
第一次世界大戦始まる(1917年まで)
- 1915
- 特科として体育科設置(修業年限4年)
- 1916
- 柔道部、関西遠征し京都武徳会に勝つ
- 1917
- 大谷武一教授、クロールの研究のため欧米に留学
- 1919
- 金栗四三、下関・東京間を走破(7.22-8.10 )
大学昇格運動の中で、宣揚歌「桐の葉」作成(12月)
- 1920
- 金栗、野口源三郎らにより、箱根駅伝始まる、高師優勝(2.14-15)
嘉納治五郎、校長を辞す
- 1921
- 体育科、本科になる
- 1922
- 体育学会「体育と競技」創刊(3.1)
- 1924
- 文部省、代々木に体育研究所を創設(10.25)
蹴球部、全国中等学校蹴球大会開催
- 1928
- 校友会を大塚学友会に改称
- 1929
- 東京文理科大学開設、東京高等師範学校は大学に附置
- 1931
- 東京文理大・東京高等師範、創立六十周年記念式(天皇親臨)
- 1932
- 吉岡隆徳、第10回オリンピック(ロサンゼルス)100m走で六位入賞
- 1936
- 嘉納らの尽力により、IOC総会にて1940年のオリンピック開催地、東京に決定(1938年7月に返上)
- 1937
- 日中戦争始まる
- 1938
- 嘉納治五郎、IOC総会からの帰途、船上で没す(5月)
- 1940
- 紀元2600年記念運動会挙行
- 1941
- 指導者養成のため、体育研究所を廃止し、東京高等体育学校を開設 (3月)大塚学友会解消し、大塚学園報告国会発足(6月)
- 1943
- 高師体育科の学科目に修練、銃剣道が加わる
- 1944
- 東京高等体育学校、東京体育専門学校に改称(4月)
- 1945
- 終戦
- 1949
- 東京文理科大学、東京高等師範学校、東京体育専門学校、東京農業教育専門学校が合併し、東京教育大学設立、体育学部は東京体育専門学校の敷地を利用。
体育学科と健康学科を設置
開設当初の講座:体育学、体育史、体育心理学、体育館理学、競技、球技、遊戯、人体形態学、人体機能学、衛生学、健康管理学、運動医学、保健運動学
- 1951
- 東京教育大学体育学部紀要第1号発行(3月)
- 1952
- 東京高等師範学校、東京体育専門学校閉学
- 1956
- 第16回オリンピック(ヘルシンキ)で小野喬、体操で銅メダル
- 1960
- 体育学部附属研究施設として「スポーツ研究所」設置
第17回オリンピック(ローマ)で小野喬、遠藤幸雄、三栗崇ら体操で金メダル
- 1964
- 大学院体育研究科設置
第18回東京オリンピック、小野喬、遠藤幸雄、三栗崇ら体操で、猪熊功、柔道で金メダル、小野清子、中村多仁子、体操で銅メダル
- 1967
- 武道学科新設
- 1968
- 第19回オリンピック(メキシコ)体操で加藤澤男、遠藤幸雄、金メダル
- 1971
- 講座の整備:体育学、体育史、体育社会学、体育心理学、体育館理学、体操学、陸上競技学、球技学、舞踊学、野外運動学、武道論、剣道、柔道、弓道、応用解剖学、運動生理学、栄養学、運動衛生学、健康管理学、運動医学
- 1972
- 第20回オリンピック(ミュンヘン)、体操で加藤澤男、金メダル(個人総合2連覇)
- 1973
- 筑波大学開学 体育専門学群、体育センター、体育科学系設置(10.1)
- 1974
- 第1回入学式 体芸中央棟完成、体育芸術図書館、総合体育館完成
- 1975
- 国民体力特別プロジェクト研究組織設置(?55.3)
体育科学系A棟完成
- 1976
- 大学院修士課程体育研究科、博士課程体育科学研究科開設
第21回オリンピック(モントリオール)、体操で加藤澤男が金メダル
- 1977
- 体育学部閉学(3.31)
第1回スポーツ・デー開催(春・秋)
- 1978
- 体育科学系紀要」第1号発刊 東京教育大学体育学部閉学
格技体育館、多目的グラウンド、クレイテニスコート完成
- 1979
- 「大学体育研究」第1号発刊
体育科学系B棟、水泳場、球技体育館、弓道場完成
- 1980
- 長尾隆史(陸上・400mH)ら3人が第22回オリンピック(モスクワ)代表選手に選ばれるが、日本不参加
- 1981
- 帰国子女のための2学期推薦入試始まる
クラブハウス、野球場、野外活動実習場完成
- 1984
- 「運動学研究」第1巻発刊
第23回オリンピック(ロサンゼルス)、シンクロナイズドスイミングで元好三和子が銅メダル、バレーボールで三屋裕子と廣紀江が銅メダル
- 1985
- つくば科学博覧会開催
- 1986
- 第37回日本体育学会開催
- 1987
- 若手の研究助成のために河本体育科学研究奨励賞設置
サイクリング実習棟完成
- 1988
- 比較体育・スポーツの方法論に関する筑波国際研究集会開催
第24回オリンピック(ソウル)、柔道女子で佐々木光が金メダル、山口香が銅メダル
- 1990
- スポーツ教育筑波国際研究集会開催
体育研究科、昼夜制を開講
- 1991
- 体育研究科、日本リゾートクラブ協会による寄附講座「スポーツ産業」開設(1996年まで)
- 1992
- 第25回ナオリンピック(バルセロナ)、柔道で岡田弘隆が銅メダル、柔道女子で立野千代里と坂上洋子が銅メダル
第17回冬季オリンピック(アルベールビル)ショートトラックスピードスケートで、河合季信が銅メダル
スポーツクリニック設置、スポーツ医科学学際カリキュラム開設
- 1994
- 体育専門学群、「健康・スポーツ教育」「健康・スポーツマネジメント」「「スポーツコーチング」の3コース制設
- 1995
- 第2回スポーツ教育筑波国際研究集会
課外活動で功績のあった人を対称とした体育専門学群長賞設置
- 1996
- 第26回オリンピック(アトランタ) 柔道女子で田辺陽子が銀メダル、菅原教子が銅メダル
体育研究科、Jリーグ、日本サッカー協会による寄附講座
「プロフェッショナルスポーツ・コーチ論」開設。
日本サッカー協会のS級ライセンス認定に必要な科目に指定される
- 1998
- 第16回FIFAワールドカップ(フランス)で中山雅史が日本人初ゴールを決める
国際サッカー・カンファレンス開催
- 1999
- 体育・スポーツ史料室開設
特別展示「身体と遊戯へのまなざしー日本近代体育黎明期の体操伝習所」
- 2000
- 第27回オリンピック(シドニー)柔道女子で楢崎教子が銀メダル、競泳メドレーリレーで大西順子が銅メダル
- 2004
- 第28回オリンピック(アテネ)柔道女子で、谷本歩実が金メダル獲得
国立大学法人筑波大学に
- 2005
- 第56回日本体育学会開催
特別展示「近代日本 体育・スポーツの礎を築いた人々」
競技スポーツの発展と地域コミュニティへの貢献を目的とする
「つくばユナイテッド」設立
- 2006
- ジャックロゲIOC会長に名誉博士称号を授与
体芸中央棟の改修(?2008年)
- 2007
- 東京オリンピック招致委員会事務総長に河野一郎教授が就任
- 2008
- 体育研究科、人間総合科学研究科前期博士課程に改組、博士課程体育科学専攻は後期課程に改組
体育ギャラリー開設、体バチリニューアル
体育科学系棟改修始まる
