西洋の民主主義社会における多文化主義の美術教育


 もし、「マルチ」という言葉を「多くの」とか「多様な」という意味に理解し、「カルチャー(文化)」を「人々の集団の生活の仕方」と解釈するならば、イギリスは、常にマルチカルチュラル(多文化)であったと言えます。しかし、「多文化社会」とか「多文化教育」などの用語は、かなり最近のものです。それらは、1960年代に、カリブ諸島や西アフリカ、インド亜大陸など、かつてのイギリスの植民地から多数の移民がイギリスに移住した時期に、その子どもたちの教育について政府が作った法律の中で初めて使われました。(彼らは「有色人種」なので、専門家たちは文化ではなく、人種の違いが、多文化教育の議論の中心にあると信じています。)


 私が初めにスライドをお見せしたわけは、過去20年ほどの間に、西洋の民主主義の国々で起きてきた多文化教育の改革運動について、重要な点を説明するためだったのです。すなわち、それは、主流を占める白人の社会の中で無視されてきたと主張する、黒人の少数民族の集団を社会的に承認するための闘いに関係するものなのです。


 チャールズ・テイラー(1994)によれば、この闘いは、市民のアイデンティティに関する西洋の自由主義的な考え方の中の新しい発展を反映している、ということになります。それは、だれもが、自分だけの個性の故に認められるべきである、というだけではなく、社会の特定の集団に関連した個性の特殊性というものもまた、認められなければならない、というものなのです。


 美術と美術教育における闘いの場は、ヨーロッパ的な芸術の「カノン(規範)」です。ヨーロッパ芸術の規範は、ヨーロッパ以外の作品によって薄められるべきでしょうか?もしそうだとしたら、どのようにすべきでしょうか?


 みなさんが私の言う「西洋の規範」という言葉の意味がよく分からないかもしれませんので、ヨーロッパと北アメリカの美術教育の内容は、ほとんど例外なく西洋のファイン・アートに基づいている、ということを指摘しておいた方がいいでしょう。これは、カナダの多文化主義の美術教育の専門家である、グラハム・チャルマーが、西洋美術の規範の問題について述べたものです。彼は、西洋美術の規範は、生徒が以下のことを信じるように、まちがった教育をしている、と批判しています。


 1. 世界でもっとも優れた芸術は、ヨーロッパ人によって作られてきた。

 2. 油絵、大理石かブロンズで作られた彫刻、そして記念碑的な建築がもっとも重要な芸術の形式である。

 3. 美術と工芸の間には、重要な意味のある階級の区別が存在する。

 4. もっとも優れた芸術は、男性によって作られる。

 5. もっとも優れた芸術は、個人の天才によって作られてきた。

 6. 芸術に関する評価は、次のような観点に基づくものでなくてはならない。線・色彩・形・材質感などの配置、写実と比例、材料の使い方と表現。(専門家によって定義される「適切さ」という先入観に基づいて)

7. 偉大な芸術は美への個人的な反応を要求する。(生活の目的と離れて)


 もちろん、美術教育の専門家すべてが、チャルマーズのような極端な見解を持っているわけではありません。例えば、初めて多文化教育の改革がイギリスの学習指導要領に導入されてから、(同化主義、統合主義、多元主義、反人種差別主義などさまざまに分類される)いくつもの段階を通ってきました。そのひとつひとつが、異なった思想的立場を示しています。それらの立場は、単に教育改革に対してだけではなく、イギリスの社会における、主流派と少数派の力関係に対するものでもあるのです。



Copyright (c) Rachel Mason, 1996


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