19世紀になり写真技術が発明され、人は自然の景色や、自ら の若かりし頃の姿などを写真というものに残すことで、ある 程度一般化して残せるようになった。その後フィルムによる 動画の記録などにより、その記録性能は長い時間をかけ発達 してきた。そしてその発達は現代においてCGによる映像や ヘッドマウントディスプレーを利用したシミュレーション映 像など様々な形で実を結び、もはや単なる記録といったこと から離れ、映像自体が発展し、意味を持つような状況になっ てきている。
そのような現代においても、人間自身の視覚機能はそれほ ど発達しているとはいえず、むしろ退化しているとさえ考え られる。社会の人々の多くが、大昔の絵画や誰か他人の創り 上げた画像をただ無気力に受け入れ、自らは積極的になにか を創り上げようとはしない。そんな中にあって、自分が何を 見たくて、また他人に何を見せたいのか、という自発的な視 覚的欲求は退化する一方ではないだろうか。
ではどうしてこのような事態になってしまったのだろうか。
まず言えることは社会環境の変化により、人々が本物の視覚
情報にふれる機会が激減してしまったことがあげられる。人
口が激増し、人間社会が超巨大化している現代において、人々
が勝手気ままに生きていくことはとても難しいことになって
いる。窮屈な社会生活に押しつぶされ自分の生きているこの
地球の自然を見つめなおすことなど、とうの昔に忘れてし
まっているのである。もし人々が自分のまわりをもっと広く
見渡し、本当に必要なものに気づくことができたならば、人々
の人生はより実りあるものになるのではないだろうか。
果たしてどれほどの人間が「本物」を知っているのだろう
か。ほぼ100%の普及率を誇るわが国のテレビ文化において、
オーケストラや演劇、ライブ、野球中継など多くのプログラ
ムが放映され、人気を得ている。忙しい我々は目の前の長方
形の枠に映し出される平面画像に満足せざるを得ない。それ
らの画像が「本物」でないことは知っている。だが「本物」
がどのようなものなのか、ということまでは知らない場合が
多い。その場にいないのだから当然のことである。しかしテ
レビというフィルターにより「本物」からかけ離れたものに
なっている場合があるのもまた事実である。例えば画面に奥
行きを感じない、視点が常に同じである、音に迫力がないな
ど、テレビの機能的な原因からテレビというメディアが根本
的に抱える問題まで、それらの制約は広く深い。もしこれら
の制約を取り払うことができたら、我々の生活はより「本
物」に近づくことができるだろう。そのための革新的なシス
テムがこの"Mole-view SYSTEM"である。
『お茶の間で「本物」の映像を...』このシステムとコン サートホールとの共存が最も難しい問題である。