B.洪水の亀城
土浦は桜川の溢水・霞ヶ浦の逆水によって、たびたび洪水に見舞われる土地でした。1938年(昭和13年)には桜川堤防が決壊し、亀城公園も本丸を残して水に囲まれてしまいました。櫓門(太鼓櫓)付近まで、船が乗り入れられているのがわかります。戦後、桜川堤を強化し霞ヶ浦の水位が調整できるようになると、ようやく水害に悩まされることがなくなりました。
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