村上史明(筑波大学芸術系)の論文「のぞきみることの美学 ―― メディア考古学的な視座による、のぞく形態を有した視覚装置の知覚構造についての考察」が、環境芸術学会『環境芸術』第36号にて発表された。

概要

本研究は、20世紀以降の「のぞきみる」形態をもつ現代アート作品を分析するための足掛かりとして、のぞく視覚装置に対する人間の態度を整理し、その知覚構造と、知覚にかかわる社会構造を明らかにするものである。

分析の中心には、コレクターのリチャード・バルザー(1944-2017)が収集し『Peepshows: A Visual History』(1998)に収録された、18世紀から19世紀の図版を据えた。装置そのものではなく、装置の周囲に描かれた人々の姿に着目し、重複を除く171点のうち、周囲の状況が描写された132点を対象として分類と考察を行っている。

その結果、のぞきみることの構造を次の3つの観点から整理した。

視覚と欲望 —— 装置に列をなす人々は、得られる像が現実ではないことを承知のうえで、幻影として広がってゆくまなざしを欲している。鑑賞者は隠された視覚情報をたったひとりで独占し、光学器機がもたらす「誤りを犯すことのない形而上的な眼」による絶対的な視点を体験する。その欲望は性的な卑猥さに限定されず、より広義の人間の欲望として捉えられる。 不安定な知覚体験 —— のぞき込む者の財布が抜き取られる図版や、装置の内部と外部が反転して描かれた図版からは、装置への没入によって現実世界から隔離されるという物理的な状況に加え、「のぞきみることは本質的にだまされやすい」という認識論的な意味が読み取れる。のぞくという現実の行為と、内部の像を知覚する行為の両面において、二重に不安定な知覚体験が成立している。 機械への従属と資本主義社会への組み込み —— 人と装置が密着する図版からは、人間が主体ではなく機械に従属し組み込まれてゆく情景がみられる。また、興行師と鑑賞者のあいだに存在する封建的なヒエラルキーやプロパガンダ的な構造は、受容者にとって隠匿されている。

以上より、視覚装置を「のぞきみる」ことが、「みる」という視覚特性と物理的な装置との距離に起因することが整理された。同時に、視覚を扱いながら知覚に起因する社会構造の特性が隠匿されるという、人間の社会構造の仕組みについても議論可能であることが示された。