木村浩
「情報デザインって何?」と聞かれることがある。「情報デザインとは、情報を目に見える形にすること、情報の関係を形にすることかな」と答えるようにしている。それでも「はあ〜?」と反応される。そこで、「情報デザインとはコミュニケーションデザインのことかな」と補足することにしている。すると今度は「コミュニケーションデザインって何?」と突っ込まれる。その場合はさらに「コミュニケーションデザインは、情報をよりわかりやすく伝達するためのデザインである」と答えている。
情報デザインの価値は最終成果物の造形性のみにあるのではない。情報をわかりやすく、正確に伝えるための方法を計画することが重要なのだ。しかし、これはなかなか確認しづらいことである。利用している内にそのことが理解されるか、似たものと比較をして初めて「ようできてるなあ〜」と気づいたりする。もしかしたら良くデザインされていればいる程、その価値には気づきにくいものなのかもしれない。 「情報」という言葉からコンピュータやインターネットを連想し、「情報デザイン」はウェブページやオーサリングソフトでコンテンツを作ることだととらえている人も少なくはない。こうしたものも情報デザインに含まれるがすべてではない。ウェブページでいえば、ページの造形性よりもページ群をわかりやすい構造にすることのほうが、情報デザインに求められていることなのだ。
コンピュータの浸透
日本で情報デザインという言葉が使われだしたのは1980年代後半だったと記憶している。1978年にJIS漢字コードが制定され、文書データのデジタル化が本格的にはじまったのが1980年代に入ってからだ。
コンピュータの発達速度はすさまじく、1976年にいわゆるマイコンと呼ばれたNECの「TK-80」が発表されてからわずか5年後の1981年には、一般ユーザー向けの汎用型コンピュータが出現した。その後、GUI(グラフィカルユーザインターフェース)を採用したことによって汎用型コンピュータは、誰にでも操作できるものとしてより身近な存在となった。グラフィックデザインではMacintoshとDTPが、インダストリアルデザインや建築ではCADが、それまでのデザインワークを大きく変えることになる。今でこそDTPはクローズアップされているが、日本では日本語書体の対応が遅れたために、当初DTPはデザイナーにとって実用的なものとはいえなかった。しかし、Illustrator 1.0と印画紙やフィルムに出力するイメージセッターとの組み合わせがデザイナーに歓迎されて普及に至った。こうした時期に情報デザインという言葉が現われたため、デザインワークにコンピュータを利用することと、情報デザインが混同視された時期もあったようだ。さすがに最近では情報デザインをこのようにとらえることはなくなった。それだけコンピュータがデザインツールとして定着したことを示している。
技術の発展
1970年代に、印刷の主流は鉛活字から写植とオフセットへ移行した。版種が変わることをCTS(コールド・タイプ・システム)といっていたが、電算写植やコンピュータでレイアウトを行うシステムもあわせて検討が進められていた。CTSは大掛かりなDTPのようなものである。
新聞は紙面の表情からローテクに感じるが、実際は最新の技術を駆使したオフセットで印刷されている。朝日新聞のCTSは、特にネルソン(NELSON:New Editing and Layout System of Newspaper)と呼ばれる。これは1965年から「電算機による新聞制作」として取り組まれたシステムである。1967年からIBMと共同開発が開始され、1975年には基本的なものは完成させていたようだが、実際の稼働は1980年からとなった(朝日大阪本社でのネルソン導入は1988年から)。ネルソンは印刷能力が非常に高く、コンピュータ管理により32ページの紙面を1時間に12万部を印刷、ページ重ね、折りまで行うことができる。コンピュータの応用性にはただただ感心するのみである。
膨大なる情報
しかし、このようなコンピュータの浸透が情報デザインを生み出したのではなく、単純に情報が膨大になったことが、情報デザインを必要とする要因ととらえるのが正しい。朝日新聞社史(1995年)によると、1879年に大阪で創刊された朝日新聞は、4ページでスタートしている。紙面サイズは縦32cm、横23cmで、1ページ3段、1段32行、1行25字であった。字数を単純計算すると1ページに2,400字、4ページなので9,600字となる。現在(1981年以降)は、15段、1段86行、1行14字で、朝刊は24ページで夕刊は平均16ページである。単純計算すると1ページ18,060字、朝刊と夕刊あわせて40ページで722,400字となる。なんと文庫本約1,000ページ分の字数である。字数に換算しても紙面には広告があり、単純に比較することはできないが、広告も情報であり情報量の変化を見るには差し支えないかもしれない。現在の1日分の新聞には字数から見ると、120年前の創刊当時の75倍も、1900年とは約9倍、1920年とは約2.5倍、1953年とは2.9倍である。現在の情報量の多さが数字から見てとれる。
情報を形にする
定かではないが、リチャード・ワーマンは現在の新聞1部の情報量は、中世の人の一生分に相当する情報量であるといっていた。現在、私達の生活の中には、新聞以外にもラジオやテレビ、雑誌がある。それらの情報を含めるとその量が超膨大であることがわかる。最近はインターネットや携帯電話も加わり、まさに "高濃度" の情報空間の中で我々は生活していることになる。しかし大量にあるからといってすべてが必要なわけでもない。逆にこれだけ多いと、欲しい情報に巡り会うことも難しくなる。すべてをチェックできるわけもなく、もし欲しい情報が近くにあっても、見のがしてしまうことも十分に考えられる。例えば新聞からの情報なら新聞を読まなくては情報の確認はできないわけであり、欲しい情報と巡り会うためには「時間」と「労力」が必要という、おかしな状況を生み出してしまっている。
情報とは、必要とする人が入手して、理解した時点で初めて情報となりうる。膨大な情報の多くは、意味のないデータに過ぎない。情報の受け手側では、欲しい情報を入手するためにどうすれば良いのかの策を練らなくてはならないし、情報の送り手は、情報を必要としている人にどうすればそれを届けることができるかを考えなくてはならない。だからこそ情報の伝達経路と理解に至るプロセスを把握し、情報の流れを設計しようとする、情報デザインが必要とされることになる。
2000年8月
筑波大学芸術学系木村浩研究室 > study > 情報デザインとは何か
http://cookie.geijutsu.tsukuba.ac.jp/study/infodesign1.html