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情報デザインの基本 11

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文字について3

漢字も長い歴史を持つ、象形文字である甲骨文や金文を整理した篆書(てんしょ)から実に3000年である。文字の形は、筆による筆記で筆を用いることによって生じる形が基本となり伝承されている。漢字の数は、中国では5万とも10万文字ともいわれている。現在の日本では中国よりも少なく約7000文字が使用されている。いずれにしろ、他の言語と比べるまでもなく膨大な数である。そんな膨大な文字に対して活字への取り組みは古くから行なわれていた。しかし、膨大な文字数から有効な活字は、近代になってから実用化された。

文字を印刷することはヨーロッパよりも早く実用されていた。宋(北宋960-1127、南宋1127-1279)の時代は特に木版印刷が盛んに行なわれた。宋時代は、ヨーロッパのルネッサンスと匹敵するほど技術・芸術が成熟した時期である。木版印刷は、一文字一文字の活字を作りそれを組んで印刷するのではなく、ページを丸ごと版木に彫刻刀で彫って版とする印刷である。当初は楷書を正確に再現するように刻んでいたが、版木に刻む作業を分担して行うようになり、刻むことを合理化した字形へと徐々に変化していった。筆の癖とは違う彫る刻むといった特徴を持つ形になっていった。

宋の時代にできた字形を宋朝体と呼んでいる。宋朝体は、シャープさを伴った字形で読みやすく、横線は右上がりになっているのが基本である。数多く作られた宋の時代の印刷物の字形の一つに「横棒は平らで軽く、縦棒はまっすぐで重い」字形があった。明朝体の原型にあたるものである。その後の明(1368-1662)の時代に、それを基に正方形に収まるようにするなど、大胆な改良が加えられた字形が明朝体と後に呼ばれる構造を持っていた。

漢字の近代的な鉛活字への取り組みは中国で行なわれた。明時代の印刷物の字形を基に、アメリカ人宣教師が1845年に漢字の活字を試みた。しかし、宣教師の死去により事業は未完のまま中断した。その後、ウィリアム・ガンブルが1859年に完成させている。

日本では、江戸時代の末期に幕府から活版印刷の開発を命ぜられた本木昌造が、中国での任期を終えたウィリアム・ガンブルを招き、1870年に長崎で金属活字を作っている。その後、鉛活字の制作が活発になる中で、明朝体は徐々に完成していった。

印刷の文字とすれば宗時代の版木の字が美しく読みやすいと好まれているが、宋朝体は縦書きが基本である。横書きが多くなるにつれ、宋朝体は影をひそめてしまった。横書きのために進化した書体が明朝体であり、明朝体は近代日本で発展した書体なのである。

 
2003年4月

木村浩(情報デザイン/筑波大学芸術学系)

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