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インタビュー

遠藤章子さん&佐藤幸恵さん part3

2014年03月04日(火)


ではここで、会場の皆様からの質問をお受けしようと思います。何かご質問はございますか。



―質問者1:僕が遠藤さんの作品を見た第一印象は「美味しそうだな」だったんですけど、なんか、おいしそうに作ろうとか、そういうことは考えてないですか。

―遠藤:美味しそうにしようとは考えたことはなかったんですけど、作品を「美味しそう」と言われることが最近多くて、ああそう見えるのかって考えるようになりました。考えてみるとさっき言ったように、透明なグミとか和菓子とか見るのが好きなんですね、半透明なものを見たりするのが好きなので、そういうのがもしかしたらどこかで影響している…かもしれない。美味しそうに作ろうと思ったことはないです(笑)。


―質問者1:ありがとうございます。あともう一つなんですけど、水が張ったような作品があるじゃないですか。あれは、張ってるんじゃなくて、磨いてるんですか。

―遠藤:T+には《空気と水》というタイトルをつけている作品を4つ出しているんですけど、それは表面が少しすり鉢状にえぐれていて、そこに実際に水をジャーっと入れています。ガラスでかたまりの作品を作っていると、その内側に水がいっぱい入っている印象を受けたりして、では実際に水を入れられる作品を作ってみようと思って作ったのがあの《空気と水》という作品で。だからといって器を作りたかったわけではなく、作品の内側にいっぱいの空間がある作品を作りたかったわけではないんですね。あくまでかたまりの状態で、かつ水が入れられるものが作りたいと思ったので、少しだけへこませて水を張っています。この前の3月に横浜のギャラリーで展示をしたときに一週間その作品を置いていたんですが、在廊していると初日にぷるぷるに入れた水が段々と蒸発していくんですね。その、水が蒸発して表面の面が少しずつ減っていくっていう時間の経過と、それを眺めている自分との関係みたいなものとか、水を入れたあの作品によって「あ、こういう風な作品との関わり方ができるのか」と気づいたので、自分でも結構ポイントになっている作品ですね。それを作った後に、実際に水が張っているように見える、でも水は入っていなくて内側から張りがあるような作品を作ろうと思って、この作品は作りましたね。


―質問者1:こっち(実際には水が入っていない作品)を先に作って、今回の《空気と水》を作ったのかなって思ったんですけど、逆なんですね。ありがとうございます。

―質問者2:佐藤さんの作品を写真で見せていただいたのですが、遠藤さんと違うところは、遠藤さんの作品はイメージが湧かないことが大きいと思うんですよね。佐藤さんがコーネルが好きと聞いてものすごく納得しましたけれども。そこはイメージを読み取って良いわけでしょう?花瓶に花が挿してあるように見えちゃっていいんでしょう?

ー佐藤:そうですね。

―質問者2:ガラスの向こうに虎がいるように見えちゃいますが、結果としてそうなっているんですか?それが正解だとかではなくて、佐藤さんもそのイメージを最初から出そうと思っていないと思うんだけど。

―佐藤:そうですね。明確なイメージを持って作っているわけではないので、見る人が自分なりの物語とかを持ってもらえるのは全然私は構わなくて、その人の自由だと思っています。

―質問者2:この作品、ご自分では動物とか思ってないんですか?

―佐藤:動物的なもの…

―質問者2:“的なもの”、くらいには思っているんですね。おそらくその辺がポイントなんだろうと思いました。はっきりしているわけじゃないけど、何かがうかがえるものを考えられているんでしょう?


―質問者2:どうもありがとうございます。

―質問者3:遠藤さんは、作品とタイトルとが個人的にはすごく合っていると思って。タイトルありきというか。そこでお二人に聞きたいのは、いつタイトルを考えるのかなと。

―佐藤:私は、作る途中かもしくは作った後ですね。作り始めとか、こういうのを作ろうと思ったときには全然タイトルは考えてないですね。途中とか、窯から出した表情を見た時とかに考えることが多いですね。その時も、タイトルを決めようと考えているよりは、作りながらこうかなあと考えています。
―遠藤:私も作りながらが多いんですけど、大体終わりに近づいた頃に、どうしようかなと思って考えています。ただ、修了制作の《空白のかたまり》というタイトルに関しては、《空白のかたまり》という言葉自体を大学院に戻ってきてから突然ポンと思い浮かんで、ああなんかこういうことがやりたいような気がするな、と思ってからずっと自分の中のキーワードになっていたので、このタイトルで作品を作りました。でもあまり一つの言葉にずっと囚われているのもどうかなあと思ったので、それからはまた作品ごとにちょっと言葉を変えたりしているんですけど、いずれにせよタイトルを決めるのは最後の方ですね。どんな言葉が当てはまると丁度良くなるかなあとか、あんまり合わない言葉を付けてそれに引っ張られてしまうのも嫌だなあとか、だからといってすごくひねったタイトルも付けたくないので、出来るだけさらっとしていてぴったりきそうなやつは何かなと考えて。ずっと同じような言葉をスケッチブックにだーっと書いて、何回も書いているうちに「これな気がする」となったら決めます。でもどうしても思いつかないときは、昔のタイトルを持ってきて、「○○Ⅱ」ってしたりすることもあるんですけど、そんな感じですね。タイトルはいつも結構苦労します。言葉はダイレクトに伝わるものなので、どうしようかなあといつも悩んでいます。


―質問者4:司会のお二方に聞きたいことがあるんですけど、先ほどクラフトとは何かということを訊かれていましたが、制作する側だと逆にわからないんですね。なので、作品を見たり企画したりする立場で、クラフトは何かというか、どの部分にクラフトらしさを感じるのかというのを聞いてみたいです。

―岡野:こんな風に質問返しが来るんじゃないかなあって、実は覚悟していました(笑)。えっと、お二人のどこにクラフトを見るかというよりも、何をクラフトと思うかみたいなものを考えていたんですけど、「素材」という要素がすごく大きい気がしていて。私はどちらの専攻でもないですけど、プロダクトデザインとクラフトの違いは、クラフトは形から入っていないというか、素材から考えているというか、「お皿を作る」と考えて作るんじゃなくて、「“ガラスで”お皿を作る」みたいに考えるのがクラフトなのかなと。「お皿」というところから入っていないというか。その素材がすごく大事な要素なんじゃないかなと思っています。だから、佐藤さんとか遠藤さんがガラスらしさやガラスという素材の特性を考えているのを見ると、そこがクラフトなのかな、と思いました。太田さんはどうですか?
―太田:そうですね、私の中ではクラフトと民芸品を重ねて見ている部分がありまして。遠藤さんや佐藤さんの作品からは、実生活に結びついたものよりかは、何か「もの」として表現したいようにアウトプットされているのかなという印象があったので、クラフトという言葉をあまり結びつけず見ていました。クラフトというと、うまく言葉に出せないんですけども日本民芸館とかにあるような、生活に根付いてその中から生まれて、形になったものかなというのが今、言葉にできるところです。


―質問者5:さっきの質問が絶対ラストの質問だなって思ったんですけども、訊きたくなってしまったので…。「自然光が良い」という話をお二人ともされていて、私も、お二人の作品は自然光が良さそうだなあと感じて「ああそうだな」と思ったんですけど、見せる側の作り手としては、明確な理由や思い入れとかがしっかりあるのかなあと思って聞きたいなって思いました。

―佐藤:自然光が一番いいとは思ってはいなくて、薄暗い方がいい時もあったんです。私の場合自然光がいいと思う理由は、時間によって作品が見える表情が違うっていうのが面白いからです。ガラスって、窓から光が入って透過しているときと、夜になって全然まったく光が入らないときとだと、同じ作品でも見える表情って全く違って。その移り変わりみたいなものを感じられるっていうのは自然光の魅力かなって私は思います。
―遠藤:自然光がいいなって思うのは、今幸恵ちゃんも言ったように、時間とか環境によって見え方が全然違うっていうことが一つと、あとは自然光の中にいる時って、一番自然な状況じゃないですか。だから、ライティングされているところでライティングされているものが見たいというよりは、自分もニュートラルな状態でものを見たいと思っているので、自然光の方が目の前にあるものと自分の関係が自然な感じがするんですよね。でも、場合によってはやっぱりスポットライトを当てたりとか、夜になったら暗くなって人工的な光が要ったりするんですけど、可能であれば日中自然な状態で見た時が一番いいなあと。自分も見てる時もその方が気持ちがいいなあと思って、自然光がいいなと思っていますね。あとは多分、制作の時に蛍光灯とかはもちろん点いていますが劇的な光を当てながら作っているわけではなくて、自然光の状態で作っているので出来上がったものっていうのをそのままできるだけ自然な状態で見せられたらいいなって思ってる気もします。


―質問者6:さっき質問に出た水を張った作品についてなんですけど、そのシリーズを作った後にその水の部分をガラスに置き換えたじゃないですか。水を張って時間性が生まれたのに、それをガラスだけにすると時間性がなくなっちゃうというのは結構大きいことだと思うんですが、どういうことを考えて水をガラスに変えたのかなという事が気になりました。

―遠藤:厳密に言うと、水を張った作品の水の部分をガラスで置き換えてみようと思って作ったわけではないんです。見る側からすると、実際の水の作品と水が入っているみたいな作品っていう風にセットになるかなとは思うんですけど。時間性が無くなってどういうことを考えたか…。あんまりこう、同じ感覚で考えていなかったですね、水が入ったものは入ったものとして考えていて。あれは作品の内側の空間から何かが溢れてくるようなイメージだったので、実際の水じゃなくてもよかったということを後で考えました。これは《内に満ちてあふれる》というタイトルにしたんですけど、うつわみたいな形の内側の、からっぽであるような空間が溢れてくるような、空間の張力みたいなことを考えたので、水じゃなくてもよかったという感じですね。だから、見た目としてはセットになりそうなんですけど、作っている時は連続して作ったわけではないから、考えがそこで一回変わってるのはあります。


ありがとうございました。では、まだ色々訊きたい方もいらっしゃるかもしれないのですけど、一回ここで閉めさせていただこうと思います。本日はお越しいただきありがとうございました。


遠藤章子さん&佐藤幸恵さん part2

2014年03月04日(火)


ガラス作品は周りの空気と調和していて、置かれる環境下で見え方が変わるものだと思うのですが、展示をされるときに気を付けていることはありますか。

―遠藤:展示する場所によっては希望が叶わない事もあるのですが、私はできるだけ自然光で作品を見たいと思っています。自分の作品は、スポットライトを当てるよりは自然光で見る方がいいかなと思っています。あとは、作品の周りも含めて見えるといいなと思っているので、あまりきゅうきゅうに展示しないように気を付けています。
―佐藤:私も作品をいっぱい飾りたいというよりは、作品が空気をはらんでいるところとかを見せたいので、作品の間隔は気を付けています。合う光は作品によって変わるので、ギャラリストに相談したりもします。周りの空間とのバランスや、光が大事だなと思っています。

―会場:あの、すみません。折角作品の写真を持ってきていただいているので、作品のお話を詳しくお聞きしたいです。よろしくお願いします。

丁度、お二人の作品テーマについてお聞きしようと思っていました。制作にあたって、修了・卒業制作展から現在に至るまでの、一貫した大きいテーマがあれば伺いたいです。

―遠藤:大きいテーマ…難しい。
―佐藤:(作品画像を)見ても分かると思うんですけど、ぐちゃぐちゃだと思います。私は正直、明確なコンセプトがあって作っているという気持ちはなくて。純粋に作るのが楽しいな、というのが大きいと思うんです。型を作ることでガラスがどう反応して流れるかとか、失敗もあるんですけど、自分でも思いもよらない結果になったりするのは面白いなと思って作ってます。何でしょうね…。
―遠藤:私も、学群の3年生の時からガラスの制作を始めて、途中で制作をしなかった期間もあるのですが6、7年ぐらいガラスをやっています。その中で段々変わってきているので、一貫してこういうものですってなかなか言いづらいんです。卒業制作は、長方形の作品の中に家の形の空洞が4つ並んでいる、という作品だったんですね。さっき具体的なものを最近は作らないと言いましたが、その時は作品に何か風景を思わせるようなものを入れようって思って作っていました。そこから段々、何かイメージが膨らむような空間を作れる作品というふうになったので、段々具体的なものがなくなっていって。これ(スクリーンに映る作品)は大学院の修了時に作った作品の一つで、これは「空白のかたまり」っていうタイトルにしていたのですが、空白って何も無いところだけど実際はかたまりになっている、というような「あるけど無い」、みたいなところが今は一つの大きなテーマになっているのかなあと思います。あとはイメージを受け入れることができるようなもの、人によってどのように見てもらっても構わないようなもの、というのが制作のひとつのテーマにはなっています。あとは、これはガラスの器みたいな形をしたかたまりの作品なんですけど、水がプルプルに入っているみたいに内側が“無い”形に見えないかなあと思って、表面をピカピカに磨いて、内側の形、内側から外側に出てくる張力、みたいなことを考えながら作りました。これも、実際には無い内側の空間をガラスで作ることで「あるけど無い」みたいに相反するものができないかと思って作った作品です。これもそうですね、これは「輪郭のかげ」というタイトルで、形の輪郭の内側に影が生まれていることを形にしたいなと思って作った作品です。
明確なテーマが一貫しているわけではないんですが、「あるようで無いようであるようなもの」っていうことが多分ひとつテーマにあるのかなと思います。


ありがとうございます。遠藤さんが一個一個の作品を説明してくださったので、佐藤さんからもそのようなお話をお聞きできたら嬉しいです。

―佐藤:これは大学の卒業制作時の作品です。このときも蝋を使って制作していた花器です。思うとこの頃って、ガラスでものを作ることがなんとかできてきたという時期で、遠藤さんはガラスの景色とか空間感を感じるすごく素敵な作品を作っていたんですけど、私はまだまだ色々なところが足りなかったな、という作品です。次の作品は富山のガラス造形研究所というところに2年間いたときに制作した作品です。これはさっきも言ったように、ジョセフ・コーネルの影響はすごく受けているかなと思います。周りの木枠とかも、近所に捨ててあった材木を貰ってきたもので、あとは拾った金属の破片とか、富山で毎月開かれている骨董市で買ってきたものとかを組み合わせています。この時にやはり、色々組み合わせていいんだって思っていて、似たような作品は何個か作りました。ガラスは作品の左上のところと、右下の。まるで存在感ないんですけど。色々組み合わせまくっていた時期ですね。次は、シンガポールでオーストラリアの女性が運営しているガラス工房に行っていたときに作った作品ですけど、前と比べるとちょっとシンプルになってきていて、現地で拾った材木とか木の実とかを色々使っています。やっぱり日本だとステンドグラス等でない限り日本のメーカーのガラスを使っている作家が多いと思うのですけど、この作品のガラスはブルーズアイというアメリカのメーカーのガラスで、日本のメーカーのガラスは色が薄いのに対して、これは色の発色がものすごく濃いです。オレンジのものがあると思うんですけど、作品自体はこれぐらいの薄さしかないのにすごく発色が綺麗です。板状で使うガラスなので、作品の作り方とか発想方法もちょっと違くなって、ガラスの材質が違うと作り方とかも違うんだなあというのがすごく面白かったです。では、次(のスライド)をお願いします。この作品はガラスの内部に金属を入れるということをやり始めた時のもので、それまではガラスの外側に色々組み合わせるというのをやっていたんですけど、内部のその表情みたいなものが面白いなと思って。この作品ではステンレスの針金とか、細い金網のワイヤーをほぐしたものとか、骨董市で買った古い時計の部品とかを入れています。何だか、それまでは作品が表面的だったのかなと少し思って、外部じゃなくて内部の表情を大事にしようと思った時期です。次をお願いします。これも基本的な作り方は同じで、もうちょっと形のバリエーションとかを増やしてみようと思っていた時期です。これは、何色か色ガラスを組み合わせて、奥の方に銅の金網を仕込んでいます。同じような作品が合わせて3つあって、この作品のタイトルは「はじまり」っていうんですけど、「はじまり」と「空中」と「終わり」というタイトルのものを作りました。銅とか真鍮とかって、ガラスと反応して予想外の色になるんですね。ガラスの内部の流れとか、思いもよらない反応とかが楽しくて作っていました。今は、偶然というか自分では予想しないことが起こるというか…ガラスに半分くらい任せて作っていますね。結構それが面白いなあと思って作っています。


遠藤さんと佐藤さんが、お互いにお互いの作品をどこが違うと思ってどこが似ていると思うかを聞けたら面白いなと思います。よろしくお願いします。


―遠藤:難しいことを聞くんだなあと思ってたんですけど…(笑)。どこが違うかというと、佐藤さんの作品は私より色を使っているかもしれない。多分、彼女は手で、ワックスを色々いじりながら原型を作っているので、その感触が形にでているような気がします。私はそういう作り方をあまりしていないので、出来上がったものの形の雰囲気は違うかなあと。あとこの質問をメールでもらって、何だろうと考えていたんですが、さっき佐藤さんの話を聞くまで物語的なものを作品に込めているのかなと思っていて、そこが違うかなあと思っていたんです。けど、さっき話を聞いたらあまり物語性は込めずにイメージが起こることに任せるという話だったので、そういう意味では、イメージが起こるようなものであって欲しいと思っているところは似ているような気がしました。どうですか。
―佐藤:私は、大学の時から遠藤さんの作品を見ていたのですが、卒業してお互いがずっとお互いの作品とかを全然知らない時間があって。あるとき修了展を見に来たんですけど、遠藤さんの作品がこういう風になったんだという驚きがありました。でも、そのどちらも遠藤さんから出ているものだなとは思って。具体的なものがどんどん削ぎ落とされて、でも、景色とか空間みたいなものはあまり変わらないというか、同じ人からでているものだなというのはすごく感じるんですけど。私と似ている、違うというと難しいんですけど、さっき遠藤さんも言ったように、具体的なものやイメージを持たせないようにしたいというのは似ているのかなと思いました。ただお互いやはりプロセスは違うのでやはり出てくるものは違うんですけど、遠藤さんのガラスの空間的な要素があるその淡い表情といったらいいのかな、私もあまりピカピカしているよりは、空間に溶け込むような少し淡いほうが好きなので、そういうところが似ているかなと思いました。
―遠藤:確かに、そう思いますね。


ありがとうございました。ではこの次の質問で、私たちからの質問は最後にしようと思います。
クラフトの先生方がいらっしゃる中で、大変答えにくい質問だとは思うのですが…(笑)、学校の定義ではなく、「クラフトとはどういうものを言うのかな」というのをお二人の言葉でお聞きしたいなと思っています。


―遠藤:こんなことを言うと、大学で働いている立場上適切でないかもしれないですけど、領域名として付いているクラフトというのがどういうものを含んでいるのかとか、どういう意図があって先生方がそういう名前を付けられて、学生がどういう気持ちで集って学んでいるのかは、正直よくわからないところもあり、人それぞれだと思うんですね。だから大学のクラフトはちょっと置いておいて、一般的にクラフトっていうのはどういうものかなって思うと、自分がやっている作品がクラフトという領域で語られるのは私は少し抵抗があって。クラフトっていうともう少しプロダクトに近いものかなっていう印象が、私の中にはあります。だからと言って大量生産品を言っているわけではないんですけど、たとえば作家が作っている、ある程度量産されるような、手仕事で作られる何か、日用品、道具とか、器とか、そういうものを、使い勝手とかそういうものも考えられて作られたものをクラフトというのではないかなあと思っているんですけど。クラフトという言葉とか、あとは工芸とか、その辺の言葉って結構曖昧で、このことを言いますってあまりはっきり認識していないと思うんですよね。自分がガラス作品を作っていても美術的な方向で作品を出すこともあるし、工芸的な側面もあると思うし、クラフト的な面もあると思うので、どういうものをクラフトと言うかというのは、はっきりしたことは言いづらいですね。作る人が、どういう気持ちで作っているかというのもあるし、どういう気持ちで作られたとしても、どういうマーケットに出ていくのかで、多分その時々でそのものの分野の名前というのは変わるのかなあと思います。はい…すみません。これはちょっと難しいと思います。
―佐藤:私の作品はやっぱり、何でしょうね、クラフトというと朝日現代クラフト展とか…あんまり見に行くことはないんですけど、やっぱりその、生活関係のものの展示というか公募展で、クラフトという意味が多分今だとすごく広すぎて、クラフトマンというと職人とかっていう意味もあるし。「器とか作らないんですか」とか言われるのはあまり好きじゃなくて、どちらかというとガラスを使った作品を作って表現しているっていう風に目で見てくれるほうが私は好きなので。工芸ってなんだろうとか、そういうことを考えてしまうと答えってきっと無くて、私はあまり考えるのはやめました(笑)。多分本当に人それぞれだと思います。器とかをいっぱい作っている人でも多分その器をつくることでその人なりの表現になると思うし、作っている人は割と考えないと思います。多分。


遠藤さん、佐藤さん、ありがとうございました。


遠藤章子さん&佐藤幸恵さん part1

2014年03月04日(火)

2013年11月25日から12月6日、T+では自主企画展「かたまりのガラス・遠藤章子展」を開催いたしました。その関連イベントとして、11月28日には今回の出品作家である遠藤章子さんと、遠藤さんと同じくクラフト領域OBの佐藤幸恵さんという二人のガラス作家をお招きして、トークイベントを行いました。お二人は抽象的で答えにくいような質問にも丁寧に答えてくださり、色々なお話を聴くことのできた濃い内容のトークでした!お二人がそれぞれ、ガラスをどう思って作品を作っているかが浮かび上がっていったように思います。

以下に全文を掲載します。



本日はよろしくお願いします。ではまず、どうしてガラスというものに興味を持ったのかをお聞きしたいです。


―遠藤:もともと、大学に入ってからものづくりをしたいと思っていて、クラフトに興味がありました。クラフトの中の木工・陶芸・ガラスと色々な素材に触れてみて、一番しっくりきたのがガラスでした。この先続けられそうな予感がしました。思い返すと小さい頃は、石を拾うのが好きだったり透明なグミが好きだったりして、ガラスに興味を持ってもおかしくない要素がいろいろあったなと思います。佐藤さんはどうですか?
―佐藤:昔、ガラスは“器”しかないと認識していたのですが、高校生の時に美術館でルネ・ラリックの展示を見たときに、色んな形もできるんだなって思ったんです。進学するにあたって、何かものづくりがしたいという考えがあり、筑波大にガラス制作のできる環境があることを知って、ここ(芸術専門学群)に進みました。木工や陶芸の授業も受けたのですが、その中でもガラスで作ることを面白く感じていたので今もそのまま続けています。
―遠藤:高校生の時からガラスって面白そうって思ってたんですか?
―佐藤:そうですね。ガラスでこんなことが出来るんだ、っていう驚きがあったのと、何か作ることをしたいという気持ちがマッチしたんだと思います。


学生時代に、最初に作り始めたガラス作品はどういったものでしたか。


―佐藤:学群2年の時に自主的にレリーフで器を作りました。その当時には栗田先生という常任の先生に教わりながら制作しました。
―遠藤:私は、一番初めにつくったのはクラフト基礎実習の授業のときです。今、クラフト基礎実習は陶芸と木工の2素材になっていますが、当時はガラスも触れたので。箸置きと小皿を作る課題があって、その時に初めて作りました。その時は思い通りに作れなくて、なんて難しい素材なんだろうって思いました。


ガラスという素材の大変さが話題に出てきましたが、逆にガラスだからこそ面白いと思う所はなんでしょう。


―遠藤・佐藤:何だろう…(笑)。
―佐藤:私が今一番感じるのは流動性ですね。流れるっていうのは制作の中でも面白いと思っています。(スクリーンの作品を見ながら)この作品は型をつくって、そこにガラスを流していて、中に少し金属も入れています。濃い色や薄い色のガラスがありますが、ガラスは溶けて流れる状態なので、流れる道みたいなもので自分にも予測がつかないところがあります。思い通りにならないけれど、自然に流れる形というものに面白さを感じて制作しています。
―遠藤:私は見るのも作るのも、塊でごろっとしたものが好きなのですが、透明なガラスでかたまりを作ると、確かに重くて存在感があるのに透明で存在が希薄に見えるその曖昧な感じが面白いと思っています。重いけど軽そうに見えるとか、固いけど柔らかそうに見えるとかイメージが行ったり来たりするのが面白いと思って制作しています。

遠藤さんの今回の展覧会タイトルも、そういった気持ちからきているのですか。


―遠藤:展覧会のタイトルを「かたまりのガラス」としたのは、どの展覧会のときでも作品の説明をするときに、「ガラスのかたまりの作品です」って言うよりは、「かたまりのガラスです」って言いたいといつも思っていて。タイトルを何にするか考えた時、いろんなタイトルの作品のシリーズを出そうと考えていたので、全部まとめて「今回、色んな作品を通して私が制作しているのはかたまりのガラスです」って言いたくてこのタイトルにしました。


そうなのですね。ありがとうございます。先ほどの話と重なりますが、ガラスにしかできない表現はほかにもありますか。


―遠藤:事前にその質問をメールで頂いたとき、ガラスにしかできないことってなんだろう、って考えていました。ガラス以外にも陶芸などで、それぞれその素材にしかできないものっていうのはなんだろうと考えました。溶けたときに流れていくのはガラスの特徴だなとは思いますが、制作のときはガラスの流動性を重点に置いて制作はしていないです。その特徴は、私が作りながら考えていくものだと思います。樹脂と間違われることもありますが、触った時の温度感とかが全然違って。私はガラスで作品がつくりたいなと思います。見る人が樹脂に見えるならそれでも構わないと思ってはいますが。
―佐藤:研磨してピカピカにすることもできるし、確かにぱっと見に左右されるというのは樹脂と一緒だと思いました。ガラスは、作るプロセスが好きです。鉄などの違う素材を入れたりするので、窯に入れたときのわくわく感が好きで制作しています。ガラスじゃないとだめとは思っていないです。 ガラスの質感が一番肌に合うからいいと思っているので。


制作において影響を受けた作家さんはいらっしゃいますか?


―遠藤:ガラスの作家ではありませんが、自分が修了論文でも取材に行かせてさせていただいた彫刻家の田和敬三先生ですね。鉄の塊の作品を制作されている作家さんで、鉄の塊をハンマーでガンガン叩いて表面のテクスチャーをつくっていくというすごくストイックな作業をして、そのストイックな作品を展示していて、そこから、シンプルな見せ方でものの力を見せられたらいいなと思うようになりました。考え方とか空間の見せ方はすごく影響を受けました。
―佐藤:私は富山の学生の時、ガラスで作品を作り続けることに違和感を持って、違うやり方で作品を作れないかと思った時期があって。現代アートなどを図書館で勉強していました。空間表現でしたら内藤礼さんとか、一種の空気感というのを表現しているのが面白いなと思って。ジョセフ・コーネルも、色んな素材を選んで組み合わせて、一種の空気感を持つ作品を作っているというところがすごく面白いな、と思って。ガラスだけでなく色んな物も使っていいんじゃないか、と思って作っていました。今はちょっとまた違う作風になっているのですが、他のものも使っていいんだということを教えてくれたのがコーネルだと思います。なんでガラス作家は出てこないんですかね…(笑)。
―遠藤:出てこなかったんだよね。ガラス作家の作品だと、影響を受けたりすごく感動するよりも前に、これをどうやって作ってるのかな、みたいなことに興味が湧いたりするので。あまりガラスの作家でパッと思い浮かばないのかな、と。これってどうやって作っているんですか、ってすぐ聞きたくなったりするし。少し距離のある分野のもののほうが、新鮮な目で見ているのかも知れないですね。


もう少しプロセスについてお聞きしていきたいと思います。普段の制作について、どうやって作っているのか、技術的な面と思考的な面をお願します。


―遠藤:電気炉の中に入れるための型を作り、そこに原料のガラスをセットした状態で炉でガラスを溶かして仕上げていく、という「キルンワーク」という方法なんですね。技術的な事は本当にそれだけなので、制作のときには、ガラスを窯から出してからどういう肌合いにしようかということと、作りたい形のための型をどうやって作ろうかということを気にしていますね。あとは今回の展示に並べている、ブルーと透明の二色になっている作品などは、それぞれブルーと透明のパーツを別に作ってからもう一度型にセットして窯入れをしています。なので、色のバランスとか、この形にこういう風に配色したらどんな雰囲気になるかということも気にしています。でも、出来上がってからああこうなるんだなあと思う事の方が多いです。
 着想自体は、普段ぼんやり過ごしているときになんとなく考えています。次はどういうものを作ろうかな、となんとなく考えながら過ごしていて、そろそろ作らないと間に合わないというときに、考えていた中から選んで形を決めていくような感じですね。それに対してのコンセプトや言葉などは作りながら考えていくことが多くて、大体はどういう“形”を作りたいかというのを日常的にぼんやり考えているような感じです。
―佐藤:私も、技術的なことは遠藤さんと基本的に変わらないですね。型を作って窯に入れて溶かす。ちょっと違うのは、原型を作るのにワックスを使っているところです。固いワックスと柔らかいワックスを混ぜた、粘度状にできるような蝋を調合して、それで型を作っています。何故かというと、蝋は石膏で型を取った後に、火にかけると蝋だけをそのまま溶かして流すことができるから。私は金網や針金などの金属をそのまま型に入れるのですが、蝋が解けるとそのままそれが型の中に残るので、自分に合っていると思っています。
これを作ってやるぜ、みたいなものは私はあまりないです。作品のヒントのようなものは、本とか風景とか散歩とか、様々なところで得ていると思います。それが作る時に形になっていく。形などは考えながら作ることが多くて、なんとなくの形は作る前に書きますが、ディテールは考えつつ作ります。窯から出した後にも、ではこれをどうしようかな、と考えるときもあるので。着想…難しいですが、何でしょう…。
―遠藤:着想って…何だろうね。

先ほど見せていただいた佐藤さんの作品には、物語的な、絵画的な要素を感じたのですが…。


―佐藤:そうですね。以前は物語みたいなものを自分の作品で作ってはいたのですが、あまり物語性を付けたくないな、と思って。キャラクター化ではないですが、明確に物語性のある作品、と言われることに少し違和感があって。具体的な物語という限られた枠ではなくて、物語というよりは、詩的な方なのかな。上手く言えないのですが、もっと空間に広がるような作品が作れたらいいなとは思っています。遠藤さんの作品を見ていると空間的な影響があるような、空間に染み入る感じを私は受けます。


では、お話していただいたような制作の過程で気を付けていることや、特に大事にしていることはありますか。


―遠藤:制作の途中で大事にしていることは、さっき言ったように、どうやって型を作るかということと出来上がったものの表面の質感をどうしようかということです。その質感を整えるときに大事になってくるのが石膏型なので、出来るだけスマートに石膏型が作れないかと制作のときは考えています。それが上手くいくと、そのままスムーズに作品が仕上がるような気がしているので。型を美しく作りたいなあ、ということを気にしています。
―佐藤:私も似ていると思います。吹きガラスなどとは少し違ってプロセスがとても多いので、どこか疎かにすると型が崩壊するとか悲しいことになってしまいます。なのでプロセスの要所要所は大事にしていますね。あとは作品の形などが、斬新とか変わった形だとかは好きではないので、微妙なことではありますがわざとらしくならないように、みたいなことは気をつけています。

わざとらしくならない、というのは…派手にならないということでしょうか。


―佐藤:そうですね。もしかしたらこの中(お客さん)にもそういう感覚ってちょっと分かるかも、という方がいるかなとは思うのですけど、「作ったぞ!」みたいな作品よりは、自然に存在しているような作品がいいなと思っているので、わざとらしくならないようにしたいなとは思っています。
―遠藤:なるほど。佐藤さんの話を聞いて「形」について思い出したのですが、私は幾何形体のような作品をこのところずっと作っているのですが、その時にはあまり具体的なものにならないようにすることと、こういうものです、という主張をあまりしすぎないようにすることを気を付けています。自分が「こう思ってこういう事を表現したいんです」ということを伝えようと思って制作しているわけではないんだなあ、と最近思っています。あまり具体的ではなく、見る人がどういう風に見てもらっても構わない。イメージが広がるようなものであればいいなと思って作っているので、幸恵ちゃんの言う「わざとらしくないもの」も、少し近いような気がします。

―遠藤さんには具体的なものを作られていた時期もあったとおもうのですが、やってみたら何か違った、と思われたのでしょうか。


―遠藤:具体的なものを作る時は、それはそれで楽しく作るんですけど、どちらかというと趣味的な感覚で作っています。作っていて楽しい、遊んでいるような感覚で作っていて。家の形の作品を作っていたときは、家を作るというよりは、作った家を置いたらそこに風景が生まれるというようなことがやりたくて作っていました。でも、家を作るより空間を作ることがしたいのであれば、出来るだけ具体的ではない方が色んなものになり得るんじゃないかなと思って。それで最近は意図的に、具体的なものをやらないようにしようと思っています。

具体的なものを作っているときが趣味みたいな、遊んでいるような感じだとしたら…、普段の感じはどのような気持ちなのですか。


―遠藤:遊んでいる感じで作るのは本当に遊ぶように作っています。そうでないときは、こういうものを作ってみたいなあ、と自分の中に何かがあって、それが出来上がった状況を見たいと思って作るので、確認しているような感じです。研究だと気負って制作をしている訳ではなくて、普通に、自然にやっている感じ。それがさっきの家の作品を作るのとどう違うかというとうまく説明出来ないのですが、どう違うんだろう…
―佐藤:でもどちらも遠藤さんだなあとは思います。
―遠藤:ああ、ありがとうございます。上手く説明できませんが。

―佐藤さんはそういう切り替えと言いますか、作品によって違う気持ちで作っている、などはありますか。


―佐藤:うーん、私自身あまり切り替えがきく質ではなく、割とずっとひとつの作品に集中するので、切り替えはあまりしないですね。
―遠藤:うーん、難しい。うまく説明できない…
―佐藤:難しく考えることでもないのかも知れないです。
―遠藤:ないのかな。最近はあまりやってないです。ちょっと可愛いような作品をあまりやらないようにしようと思って。どこかで展示をするときに、作品のバリエーションとして小さいものが必要になったり、そういう作品を依頼されたりすることがあるので、そのような必要に応じてやることはあるんですけど。最近は、今回の展示のような作品を、自分のなかで自然にメインでやっているという感じです。


山口英紀さん

2013年10月15日(火)

今回注目するOBさんは、学群時代は書コースで書道、大学院では篆刻を学び、その後の留学で水墨画を学んだ画家、山口英紀さんです。薄い紙を何枚も層のように重ねて描く、まるで写真のような山口さんの細密画。その技法においても都市風景というモチーフにおいても、大きな注目を集めています。そんな山口さんに、これまでの活動についてお話を伺いました。



―学生時代はどのような活動をされていたのですか。


大学に入った時から、書と絵と篆刻の3つを合わせたもの、いわゆる文人画といったものにとても興味があったのでそれを最終的な目標に勉強していました。でもその3つをそれぞれ並行して勉強しているとどれも中途半端に終わってしまうと思って、筑波大学時代は書と篆刻をメインに勉強していました。学群時代は書道コースの授業に加え他の漢文や日本文学の授業も素養として取っていました。院生時代の篆刻についても、篆刻の専門の先生がおらず授業がなかったので、自分である程度やったり、先輩方から話を聞いたりという感じで、自分で勉強している面が結構ありましたね。授業にプラスしたいというか幅を広げたくて勉強している面はあったなと思います。そして大学院を出て行った中国では、もちろん中国に行ってからも篆刻とかは勉強していたんですけど、どちらかというと絵に重点をおいていました。日本の水墨画には自分が表現したいものがなかったので、「日本で学ばずに中国に行って2、3年間を絵に充てよう」と思っていて。
あらかじめこの期間はこれを集中的に、この期間はこれを集中的に、と決めて活動していました。というのは、書と絵と篆刻を合わせた作品を観るときに、たとえば絵画の専門の人が観れば絵画をまず観て、篆刻の専門の人は篆刻をまず観て作品のレベルはこのくらいかなと判断すると思うんです。3つを並行してやっているとレベルが皆低くなってしまうということがあるので、ある程度集中してそれぞれのクオリティを上げていって、総合的にレベルの高いものが出来上がるようにしたいと思いました。自分の中で段階的なカリキュラムを10年くらいの計画で立てて、ある程度長期のスタンスをもって勉強はしていましたね。それが形になったのが、留学から帰ってきてしばらく発表してからなので、まだここ5年も経っていないかな。大学4年間と大学院を含め6年間の学生生活では、到底学び表現しきれるものでないと思うんですね。留学も含めると、8年。8年で基礎を学んで、社会に出て、作品として発表できればいいかなという感じでした。大学に入った時から、ある程度そういう長期的なスタンスを見て勉強はしていました。

―留学に向けて、何を考えたか具体的にお願いします。


自分がどういう表現をしていきたいか、どういうことを学びたいかということを考えましたね。中国はすごく広いので、やみくもに行って学んでも何も学ばずに帰ってきてしまうなと感じて。サッカー選手が野球選手のように肩を鍛えても何も意味が無いように、自分がこういうことを学びたいからここに行かないといけない、という段取りってすごく重要ですね。ただ筆を動かしても作品に出来るかっていうと、ただ時間をかけているだけになってしまう。ある程度時間が限られていて、学びたいことも限られていれば、集中的に学ぶということが重要じゃないかと思います。中国留学は、日本にはない細密的なものを勉強してこようという目的がはっきりしていました。そこで、どこの大学で何を学ぶかということで、どういうことを勉強すればいいか自分の中でははっきりしていて、いろいろ調べました。留学前は人に色々と聞いたりとか、本を読んだりとか、あと留学の前に短期で旅行に行って自分で現地を見たりしましたね。気になる作家さんの資料を集めることもしていて、実際に留学中に作家さんに会いに行ったりしました。
日本画とか油絵とかで、色々なコミュニティに所属したいなって考えるかもしれませんが、入ったらなかなか出られない社会の仕組みがあると思うんですよ。だからそこに入るまでに、自分が何を表現したいかとか自分の方向性とかいう、下準備がすごく重要かなと思いますね。それによってスタート位置がもう全然違ってきてしまうので。大学に入学する際もすごく下準備をしましたね。当然行ってみないとわからないところはありますが。

―テーマや題材の選択はどうしているのですか。


普段発表しているものは風景が多いですね。「普段目に触れるもの」で表現がしたいというのも理由なんですけど、風景って、見たその時の感情によって見え方がすごく変わってくると思うんです。ある日は風景の中の人に目がいったり、ある日は木に目がいったり、見る日によって目線や着眼点が変わってくると思うんです。見る度に発見があって面白い捉え方が出来るなと。だから題材に風景を選んでいるというのは多いですね。特に「これ」という決まったテーマは無いですけど、今は風景が多いです。
 後は「水墨画」というイメージの既成概念を崩したいっていう思いがありますね。みんな、水墨画に対して、いわゆる「山水画」や「にじみやぼかしを使ったもの」というイメージを持っているじゃないですか。それを覆したいなっていう思いがあって。だから描くものに直線的な人工物や建物を選んでいるのはありますね。にじみとかと全く逆のベクトルのものを選んでいる。あとは、細かいものを表現したいから「都市風景」を描いているのかなと。都市風景はいろいろなモチーフがガーンと詰まっていて、描くのも大変ですけど観る人も色々なところが見えるので見ていて面白いんじゃないかと感じますね。
「水墨画のイメージと真逆なもの」からスタートすると最初は「都市風景」に至って、描いているうちに出来上がったものからいろんな鑑賞の仕方が出来ることに気づいて「あぁ、面白いな」と思い、都市風景が継続しています。

―水墨画の既成概念から外れようとしながら、でもどうして墨を使うのでしょう。


最近の現代美術では、細かいものを表現する手法としてボールペン画とかペン画いうのも出てきていますよね。あとは鉛筆など。好みの問題ですが、鉛筆の光沢が自分としてはあまり好きではないんです。墨というものは浸透していくものなので深みがあるなって感じます。画論で「墨に五彩あり」って言葉があります。色合いが滲み出てくる、白黒の世界だけど見た人によって見える色が出てくる。同じ「黒」でも墨だとそのトーンに幅が出るという理由が自分の中であります。あとは小さい頃からずっと墨に携わって来たっていうのが大きいです、それを元に表現したいなって。
あと、別に細密画だったら筆でもペンでもなんでもいいんですけど、ボールペンだと耐久性が未知数なところがあるじゃないですか。その点、墨は出土文物によって耐久性は証明されています。社会に出るとただ発表するだけじゃなくて、コレクターさんたちなど買ってくれる人が出てくるわけですよ。そうして、展示した時だけじゃなくて、買ってもらったその後を考えて、墨や紙、表具の糊など作品の耐久性っていうのをすごく気にするようになりました。その人の子どもや孫の代まで残るとなると最低100年は見越していかないといけないかなって。その辺が、やっぱり学生時代と大きく変わったところですかね。学生時代は作って展示をするというだけで完結していた気がします。

―これからいろいろな表現方法を試したいと思いますか。


「まだこれじゃない」「まだこれじゃないな」と思いながら作っているところがあり、まだしっくりこなくて、制作過程からモチーフから模索しているところはあります。まだ30代なので確立するのはまだまだ早いです。まだまだ実際手を動かしていろいろなものを試しながら、いろいろ考えていこうかなと。結構、モチーフとか、題材題材で表現とかも変わってくると思いますし。理想は、いくつかの作品を観て「同じ作家さんなんですか?」って言われることですね。やっぱり、年によって表現が変わっていると、「次はどんなのが来るんだろう」って思うと、案内状が届いた時にも「あ、行ってみよう」ってなるので。同じようなのが続いてれば、今回もこんな感じだろうっていうので終わっちゃう。それを、自分の中で配慮していきたいなって思いますね。

―最後に、学生に何かコメントをお願いします。


「続ける」ってすごく大事だと思うんです。制作を「続けたい」っていう意思だけは持っていてもなかなか難しいと思うので、その意思を生かす環境をいかに整えるかっていうのが重要じゃないかと。特に美術系の学生は社会に出ると、制作と仕事とかの面で、なかなか両立が難しい環境に直面することがいっぱいあると思います。その中で、制作を将来的にも続けていきたいって思った時に、どういう環境に置いておくか。大きな団体に所属して活動していくとか、個展を開きながら活動していくとか。とにかく沢山の選択肢があります。
仕事や家庭などの生活スタイルと自分の制作をひっくるめて、今後こうやっていけたらいいなっていうスタンスは大学を出てから10年がひとつの目安になるんじゃないかと思います。10年を超えてまだ制作に携わっていけるようであれば、きっとその先も大丈夫だと思います。卒業後いかに制作とかを含めて発表していけるか、というのが難しいところじゃないかなと思いますね。
意外と社会に出ると、時間って取られて、やりたいことよりもやらなければいけないことがたくさんある。今思うと、学生時代の方がまだやれる時間がたくさんあると思うので、いろいろ経験を積んでいくことが大切なんじゃないかなって思います。今はなかなか実感できないでしょうけど、社会に出ると本当に時間無いなってなってしまって。学生のうちに、やりたいことをいかにできるか。その時に身にならなくても、10年後、20年後に、身になるものもきっとあるかな。今思い返すと「学群の時のこういう勉強がここに繋がっていたなー」って思うことがあったりするので。その時に、すぐ結果を求めるようなとこってあるじゃないですか。なかなか結果が見えないとそこで終わっちゃう面があるけども、いつか身になるときのことを考えると、またきっと意欲もわいてくると思うので。モチベーションを持ちつつ、続けていくことが大切じゃないかなあという気がします。

【profile】
水墨画家:山口英紀
1976 千葉県生まれ
2001 筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了
2002~2004 中国美術学院留学

実家が石材工、祖父が日本画家という環境で、小さいころから習い事で書道を学ぶ。
いつしかその3つの分野が組み合わさった、文人画に興味を持つようになる。
現在に至るまで数多くの個展・グループ展に参加。
国語や書道を教える高校の非常勤講師として勤める傍ら、画家としての活躍を続けている。


猿田なつ奈さん

2013年10月15日(火)


―学生時代はどう過ごされていたのですか?


体育専門学群で、陸上競技部に所属していました。競技スポーツとして走り続けるには、結果がともなわなければならなくて。遅いなりに競技に真剣に向き合っていたけれど、反面、自分の居場所はここにはないんだろうなって感じていました。学生の時に「一番自分を出せた!」と思えたのが有志で参加した4年生の卒業ダンス公演のときで。自信なかったのにすごく褒められて、自分の居場所はないものだと思っていたけど、意外なところにあるぞと思ったんです。そこで自信がついて、自分の思っていることややりたいことを表現しても良いんだと思って。その頃あたりから、今まで人に見せずに隠していたんだけど、好きでずっと描いてきた絵をみんなに見せたいなと思うようになってファイルにまとめたりし始めました。絵は部活の練習の合間に描いていました。部活動が忙しすぎて、ストレス発散することが難しかったんです。午前中に部活で死ぬほど走った後にどっか出かけようって気にはなれなくて(笑)朝練習もあるから夜遊びできないし、家でずっとお絵かきしていました。

―今のさまざまな活動をはじめたきっかけはなんですか?


大学院生のときに論文を書きながら大学のパソコンでこっそり絵を描く生活をしていて、修士論文提出と同じ頃に、絵の方で1冊本をつくりたいと思っていたんです。それで、自費出版するためのオーディションみたいなコンペに出して入賞したんです。 これをきっかけに全然知らないところからお仕事をもらえるようになりました。CDジャケットとか。
そのCDジャケットを描いたバンドとの繋がりで、結構おっきめのライブハウスで似顔絵をお願いしてやらせてもらって。そこらへんが似顔絵の始まりですね。他にはイーアスのパン屋さんのロゴデザインとか、依頼されたお仕事は何でもやりました。どこに何が転がっているのかわからないので、上手いかどうかは別として、「私は絵を描いていて、それを職業として生きています」って言いきっちゃうっていうのがすごく大事で。
下手だったら下手で全然仕事入ってこなくなるだけだから。別に怖いものがなかったんですよ、体育専門だし(笑) ただ芸術専門学群に対してのコンプレックスはありました。学群生の時に共通でとれる油絵の授業をとっていて、芸術専門学群の人と一緒に描いていたんです。そこで当時人気のあったイラストとかを馬鹿にしている会話なんかが聞こえて。そんなこともあって芸術専門学群は怖いと思っていました。卒業する時も卒業制作展が見れなかったんです。行っちゃダメなとこだと思ってて。でも途中で、コンプレックスばっかり感じていてもだめだと思ったんです。誰も気にしているわけじゃないし、これは自分の問題だってわかっていたから。それで、画材の勉強したいなと思って渡邉美術社の筑波大学支店に入ることになったんです。
今年も1月につくば市民ギャラリーで開催された、「好きだ!!展」はコンプレックスから始まっているところがあって、自分が好きだっていうものだったら誰も順位はつけられないはずだという思いから生まれました。自分が100%好きなものなら、コンプレックスなしでできるかなーと思って。なので、体育の時に得たものとか結構大きいと思います。いいところも悪いところも。

―題材で女の子を選ぶ理由はなんですか?


私の持論で、女の子っていうのは一番誰でも持っている部分だと思っているんです。男の人でも少女性ってどこかにあって、みんなが重ねられる部分が多いと思います。私のファンには40代、50代のおじさんがすごく多くて、その人たちに共通するのは、その女の子を自分の恋人とかって見てるよりは、自分と重ねて見ているんですよ。なんかその、純粋な心みたいな。多分、私たちの時代ってすごく速いから、日本人的なおしとやかさとか、心を大事にするとか、見えなくなってきていると思う。私の絵ってよく懐かしいって言われるんです。今どきの女の子を描いてても、どこか懐かしさが残るよねって。やっぱなんか、安心するような古さがあるんだと思う。その、誰でも重ねられる女性性みたいのを思って、女の子を描いています。いくら男っぽくなっても、やっぱり女の子の部分というか、人を好きになる気持ちとか、そういうものって、誰でもあてはめられるものがあるんじゃないかなって思うんです。男の歌手が女の人の歌を歌ったりするのも多分そういうことなのかなって思います。だから、そう考えると、すごく一般的な考え方なんじゃないかなーって思って。「モデルはいるんですか?」ってよく言われるんだけど、モデルは、いません。モデルを描いちゃうとその人になっちゃうから、想像で描きます。でも、いつからか、自分の中から女の子が出てきて、生活してたりとか、曲がり角をまがって夕焼けを見てたりとか、そうゆうシーンが出てくるんです。だから、それを描いてる感じですね。

―さまざま場所での展示も人との「つながり」から実現したんですか?


そうですね。やっぱり人との繋がりです。皆面白そうな人たちが寄って集まってくるような感じで、いろんな人が絡んで行くような。本当に面白いように周りは繋がっていて、それは「人と絡もう」とかじゃなくて、どういう人でも面白い。むしろ異種格闘技じゃないけどさ。「別々のことやってる人の方が面白いんじゃないか」っていうみたいに。「関係ないじゃん!」 って思っているから。別の分野の人たちとも繋がって、それが絵を展示するきっかけになって呼んでくれたりとか。
アーティストさんとか本当に絵をしっかり描く人たちがそこを求めるものではないって分かっているけど、そういう選択肢があってもいいんじゃないかとも思います。本当にがっつり「芸術」というものだけじゃなくても、もうちょっと近い大衆的な「イラスト」みたいに。もっと自分の絵で遊べたらいいと思います。それを中心にしてお友達と話してみたり、展示してみたり。展示も、身近なものを身近なものって卑屈になるんじゃなくて、そこは「遊びだから」でもいいんだと思います。まずそこでいろんな人に見てもらったところの上があるって思えば。その先で本当にやりたいことをやるとか 「ちょっと描いてよ」「見てよ」とか。

―芸術専門学群の生徒にアドバイスをお願いします。


私はアートのことはあまり詳しくないけど、人と絡んで、役割が飛んで来て、無理矢理やって、楽しかったなって思えればいいと思います。そのでしゃばりによって迷惑はすんごくかけてるけど、若いうちは迷惑かけてなんぼかと。やったもの勝ちじゃないけど、そういうことにはドンドン首を突っ込んでいった方がいいと思います。だから筑波大学の学生に限らないでもないけど、今の子たちは大人しいなと思います。
芸術専門学群はひとりひとり出来る人たちが揃ってて、展示とか見てても「上手いなぁ」ってなるから自分のエリアを拡大して縄張り争いぐらいしてもいいと思うんです。私に仕事が回ってきているうちは駄目だと思いますよ。……でも絶対に譲らないですけどね(笑)
目標はこのまま80歳くらいまで頑張ること。そしたら絶対テレビとかに取り上げられると思うんです。「この乙女な絵を描いているのは、実は……80歳のおばあちゃん!」とか。それで「ど〜も〜」とかって。
学生のうちはもっとガツガツしてもいいんじゃないかなって思います。どんどん活動してくれれば勝手に応援していますので(笑)


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